忍者ブログ
HLHSで天使になった直輝のDIARY
  ★ カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
  ★ フリーエリア
  ★ アクセス解析
[17] [16] [15] [14] [13] [12] [11] [10] [9] [8] [7]
★2024/05/18 (Sat)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

★2006/07/15 (Sat)
10/7

今日から、術後のICUの面会。朝9:30からの一回だけ。しかも、五分間。その後はずーっとひたすら
「はい、今日はお帰りください」と言われるまで6階のベンチで待っていなくてはならない。
とにかく忍耐の毎日が始まる。産後の私はもちろん、腰のあまり強くないパパもつらかった。
今日は、なんとおっきな目をあけていた。私達を安心させたくて元気なところを見せてくれたんだね。
この頃、同じ時期に手術を受けた人たちと仲良くなった。みんなの赤ちゃんの病名を聞いた限りでは、
うちが一番悪そうだった。おしっこもまだぜんぜんでないらしく、みんなとはだいぶ違うのはあきらか。
でもね、私達夫婦が一番明るくして、病棟の暗い雰囲気を変えていた。ムードメーカーだった。

10/10

手術を受けたのは生後2週間。今日は術後5日目だ。まだ胸は閉じられず、開いたまま。
でないおしっこのために透析してるみたい。感染症が心配と言われたけど、今のところかかっていない。
直輝は入り口のすぐそばにいる。だから、みんなが直輝の顔色をチェックしてるらしく
「今日は黄色っぽい顔してたね。」とか、仲良くなったお父さんから言われたことがある・・・・。(^^ゞ

直輝の執刀医はとてもすごい人らしいことを、お母さん達から聞いた。
教授回診のとき、エプロンをつけていた付き添いのお母さんを叱ったとか、面会に両親そろってないと子どもに面会させなかったとか、面会中に子どもの顔しか見ていないと、怒るとか・・・・・・。
まあ、噂だからね・・・。大学病院にはありがちなことだと、私は気にしていなかった。それがまずかった。
パパが育成医療のために会社へ書類をとりに行くから、面会を一人でしたときのことだ。
内心、怒られるのでは・・・。とビクビクしてた私は、何も言わず立っている先生につい、
「あのー。このままこの子の体力は持つんでしょうか?」余計なことを聞いてしまった。先生は逆ギレした。
「そんなこと言ったって、しょうがないでしょう!!みんな頑張ってやってるんだよ!
でもこの状態なんだから仕方ないでしょう!!これ以上どうしろというんだ。」 
 私は言葉を失った。もうそれ以上何も聞くまいと、心に誓った。先生はたぶん自分のやり方に文句をいわれたと勘違いしたみたいだった。

そうじゃなくて、ただ単に素朴な疑問をなげかけただけだったんだけど・・・・。
直輝の顔を見ながら、泣いた。どーして?頑張っているのは直輝じゃないの?悔しくてどんどん涙が・・。
部屋を出て行くとき、婦長さんが追いかけてきた。「お母さんはちゃんとわかっているわよね・・。いちにち
いちにちが大事なんだって・・・。そうよね・・・。」なぐさめてくれているのか・・・・・。
外科医に質問してはいけません・・・・。この時、やっと看護婦さんの言った意味がわかった。

でもね、朝の面会では「落ち着いています。」
夜7:30の解除の時には何時の情報なのかわからないけど、「安定していますので、待機場所へお帰りください。」
それしか言ってもらえない親の気持ちをわかってくれというのは、無理なことなのか・・・・・。主治医の先生はいつもいるわけではないし。

10/15

まだ、自分の力ではおしっこがでない。あいかわらず、胸は開いたまま。顔色はまあまあだった。
看護婦さんも何も言わない。外科医は「安定しています」それだけ。
夕方、解除になったのでホテルへ戻る。帰ったとたん携帯電話・・・・・。
「痰を取ったとき、血圧が下がりました。すぐ、病院へ戻って下さい。」あの解除はなんだったんだよ!!まだ5分もたってないじゃない!
その後、11:00過ぎまで病院にいて、帰る。

10/16

朝の面会では、変わったことはなかったのだけれど、夜の解除の前に先生からうれしい知らせが。
なんと、自分の力でおしっこがでたそうだ。えらいぞ!直輝。よくがんばったね。これはすごいことです。
と、誉められちゃった。よし!今日はお赤飯のおにぎりを買って、お祝いだね

*追記*
かなり執刀医に批判的な文ですが・・・(^_^;)
当時はインフォームドコンセントがやっと騒がれ始めた時期。
そして、大学病院という場所。
そして、あの事件の数年前。
今は病院の体質も変わってきているでしょう。
直輝の執刀医は翌年?(もう一年いたかしら?)で辞めているそう。
あの頃も、○○先生がいなくなったらどうしたらいいんだろう。的な話題で
持ちきりでした。
嫌な思いはしたけれど、執刀してもらって、よかったと思ってます。

あのカルテ改ざんの事件が起こり、みんなが好奇の目で女子医大を注目
していた頃、私自身はかなりフクザツな思いでした。
やっぱり・・・。と思った反面、
やはり気持ちのいいものではなかったです。
HPにこの日記をUPした頃は、女子医に対するメンタル的な不満を
書き連ねることで、気持ちを保っていたような気分でもありました。
でも、マスコミと一緒になって、あの病院を批判するだけの気持ちには
なれなかったのも事実。

あの時、福岡や岡山へ行く選択肢があったのなら?
私達がもっと病気について突っ込んで調べていたのなら?
HLHSの手術成功率がもっと上がっていたのなら?

どれも、今となっては・・・・・。
最初の病院でのメンタルケアがよかったせいか、
不思議とそのような考えで後悔することは少なかったと思う。
こども医療で生まれて、女子医でオペして、頑張って。
それが、すべてであり、あの時、思って行動したことが
私達にとってベストなことだったと。
そんな風に思えるまで、きっと時間がたくさん流れたということでしょうか?




PR
この記事にコメントする
name★
title★
color★
mail★
URL★
comment★
password★ Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする★
忍者ブログ★ [PR]

★ ILLUSTRATION BY nyao