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HLHSで天使になった直輝のDIARY
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★2006/07/15 (Sat)
9/22  9/23
朝、AM6:00.突然の出血。おしるしだ・・・・・。
どうも、昨日の夜からのりてるが下がってきてるような気がして・・・。えらいねー。ちゃんと生まれてくる日は教えてね。と、いつもお腹に話し掛けていたからかな?破水する前でよかった。
病院に電話し、検診日だったので少し早めに病院へ向かいました。まさか予定日ぴったりに陣痛がおこるなんて思いもしなかった。
その時は15分間隔くらいで、まだ耐えられる痛みでした。
 モニターをつけると、今まで見たことのないような山で、+100とかでてた・・・。(お腹な張りを表す数値)
それで、もう入院でしょう。ということになり、子宮口をみるのに内診台へあがったとたん破水!!
私は気づいていなかった。看護婦さんが、「ねえ、もしかして破水してない?」あらほんとだ・・・。
その時、子宮口は1cmしか開かず。
  あとは、準備室へ入り、陣痛が強くなるのを待ちました。
が、が・・・・・・・・。昼ごはんを食べても強い波が来ることはなく・・・・・・。夜ご飯を食べ、オリンピックを見て。
主人はあきれて一度帰宅。先生も看護婦さんも、モニターをはずして少し眠ったほうがいいよ・・・。と。

うとうと、眠ろうとしていたんだけど、なんだかお腹がだんだん痛くなってきたー!!時計ではかったら、
7分間隔くらい?どうしよう。ナースコールしたほうがいいかな?それからも30分くらい痛みを逃してました。
とうとう、耐えられなくなり、看護婦さんを呼ぶ。
のりてるー。予定日過ぎちゃったよ。もう12:00過ぎてるよー。
急いでモニターをつけると、心拍は100以下だった。すぐ、酸素を吸わされ、このまま上がらなければ、帝王切開だと言われ・・・・・・。(胎児仮死の状態だったみたい。)旦那さんをすぐ呼んでください。
緊迫した空気が流れる・・・・。私はただひたすら痛くて・・・・・・。看護婦さんの手をにぎりしめてた。
先生には、「もし、赤ちゃんに何かあったら、帝王切開に切り替えてください」とお願いしてあった。
子宮口はやっと3cm・・・・・。先生もどうしようか迷っている様子。心拍は少し回復したみたいだけど。
  
結局、帝切となり、手術室へ。麻酔を打つ前も陣痛は苦しかったー!!
赤ちゃんの顔が見えるように、看護婦さんがメガネを持っていてくれた。
だんだん、麻酔が効いてきて、陣痛の痛みはなくなっていった。先生が執刀医でよかったー。
「はい。これ痛くないよね。今お腹切ったからこれが痛いと大変なんだけど」
先生・・・・・・・。(^^ゞ
赤ちゃんは、へその緒を首に一回巻いていたらしい。だから心音が下がったかな?
「おぎゃー!おぎゃー!!」と、のりてるの泣き声。最初は弱い声だと思ったけど、次第に大きな泣き声をあげていた。
「一瞬だけ赤ちゃん見せるね!」という先生の声。私のほっぺに足?手?をくっつけてくれた。
無事にでてきたんだ。よかったね。がんばったね。のりてる。えらいよ!!
  2884グラム。元気な男の子だ。ちゃんと髪の毛まで生えてるじゃん。
早く、下のNICUへ行って検査してもらおうね・・・・・・。がんばるんだよー。
  赤ちゃんが生まれた後は、安心したせいか、少し眠ったみたいだった。
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★2006/07/15 (Sat)
ママの日記より・・・

今日は運命の日でした。
N(旦那)がPM3:00頃来てくれて、2人で話そうと思っていたら、K先生に呼ばれもう一度心エコー。
説明も先生がしてくれて・・・・思ったより状態はよくなかった・・・。一番なって欲しくなかった
左心低形成症候群・・・・・。手術をしても長い間生きられないかもしれないって・・・・・。
その成功率も、半分もないそうです。
ショックだったけど、のりてる(胎児名。その頃はそう呼んでいた。)は
4日くらいはおっぱいも飲めるし、抱っこも出来るって。それまで、いっぱい元気にしてるんだよ。
Nもショックだったと思うけど、精一杯明るくしてくれてました・・・・・。
みんなでこの悲しみから乗り越えないとね・・・・。まず、私に出来ることは無事にのりてるを産むことだけ。
体力をつけてがんばるから、のりてるも手術に耐えられるように育ってね!
ここまでがんばってこれたんだから、少しでも一緒にいる時間を作りたいね・・・・・・。
私の糖尿病の疑いもなくなったし、明日は退院です。昨日心配で眠れなかったから、今日はぐっすり眠れるかな?

8/29退院かと思ったら、朝のモニターでお腹の張りがあったので、「もう少し様子をみましょう・・・・・。」と
言われて退院できなくなってしまった。確かに心拍も120くらいで低めだったんだけど・・・・。
(のりてるはよく心音が落ちた。後に先生に聞いたところによると、”変動一過性徐脈”というらしい)
子宮口も開いてないので安心したけど、前よりはお腹も張ってきているかなー?
家に帰れないので、Nくんのことが心配です。

9/1
今日から9月です。もう、入院10日目。のりてるはちゃーんと元気に動いてます。
左心低形成症候群なのが何かの間違いであって欲しい・・・・・・。
生まれたらとっても元気になっていると・・・思いたい・・・。
手術だってきっと成功するよって・・・・。思いたい・・・・。
早くNのところへ帰りたい・・・・・・・・。  
    のりてる!元気に、元気に生まれておいで!!
 少しでも長い時間、一緒にいようね!!

そして私は、9/4日に退院することができました。
告知の次の日に退院できなかったのは、今考えればよかったのかな?とも思います。
主人も一人ならば家で泣くこともできただろうし、落ち着いていろいろなことを考えるのにいい機会だったのかもしれません。
入院の間、NICUのビデオを見たり、分娩室を見学させてもらったり、みんなとおしゃべりしたり・・・・。
一人で家の中にいたら、ずーっと泣いてばかりだったかもしれないしね。
家族はそのまま産む時まで病院にいてくれたほうが安心だと思っていたみたいなんだけど・・・・。

★2006/07/15 (Sat)
8/23 入院2日目

朝はNST。ずーっとモニターが気になって目が離せない。赤ちゃんの心臓の音が聞こえる。
もちろん、心拍がいくつなのかも気になりより目になりそうだ・・・・・。
これって、ノンストレステストっていうんだよねぇー。はー。ストレスだらけだ・・・・・。

お部屋のみんなとも仲良くなり、いろんな話を聞いた。この病院のシステムとか・・・・。
検査入院は一週間ほど、と言われていた私。まだ心エコーの検査はやっていない。
その心エコーを見てくださる新生児科の先生は、すごい人らしいこと。そしてとっても忙しく、いつも呼び出し
アナウンスがあるくらいなのだそうだ・・・。だから一週間も期間があるわけね・・・。まあ、それ以外にも
いろいろと調べるのでしょうけれど。
それと、検査の結果は最後まで教えてもらえないんだって。えっ?!どーゆうこと?
つまり、ちゃんとしたお話合いの部屋があり、主治医、新生児科医、看護婦、指導員、夫、妊婦の全員が
そろった段階で、きちんとした最終的な検査結果と説明を受けることになるということだ。
 それはその内容があまりにも悲劇的だから、そうなっているのでしょう・・・。ガン告知みたいなものか・・・。
それだけ、妊婦への心のケアを怠っていないということでしょう。
本当に看護婦さんは、どの人もみんなやさしかった。”やさしい”というか何ていうか、絶対普通の病院と違う
ということを感じた。具体的にうまく言えないのだけれど。

午後は一階の売店まで行って、テレビカードを買いにいった。せまかったけど、本や雑誌も売っていた。
そこで「心臓病児者の幸せのために」を買おうかどうしようか迷ったけど、買ってしまった。
ちゃんと知っておかなければならないこともあると思ったから・・・・・。

夜は心エコー。そのうわさのDrと、もう一人のDr。長い時間かけて、よくみてもらった。もう上を向いて寝る
姿勢がだいぶ苦しくなるくらいだった・・・。後に、直輝の主治医となったT先生が言った。
「心臓病には3つあって・・・・・・。まず手術をしなくても穴がふさがる簡単なもの。次に、手術をすれば助かるもの。
そして、手術をすることができないもの。あなたの赤ちゃんは手術をすれば助かる可能性があるかもしれないんだよ。」と、確かこんなこことを話してくれたと思う。(よく覚えてないんだけど・・・・・。)
きっと、不安そうにしていた私を、勇気づけてくれたんだと思う。

お部屋では、消灯時間が過ぎてもおしゃべりして、楽しく過ごしていたけど、夜は眠れなかった。
いろいろ考えると、夜中の3時過ぎになっていたり、本を読んでいると、全部の病気にあてはまっているような気がして・・・。
単心室の項目の次のページに左心低形成が載っていた。
その頃の私は、単純に、これじゃーないといいな・・・。これが一番ひどそうだもの。
どうかこの病気じゃありませんように・・・・。と願いながら告知の日を待っていた。

  8/28 告知の日
お話の前にK先生が、もう一度心エコーを見てくれた。主人も部屋に入った。
そして、全員がそろったところでお話が始まった。
心臓の様子が簡単な図になっている紙を見ながら、K先生は私たちにもわかりやすく説明してくれた。
私は、病名を聞かされた時点で、もう何の言葉も覚えていないくらい動揺していた・・・・・。
やっぱり・・・。一番なって欲しくなかった「左心低形成症候群」だった.....
★2006/07/15 (Sat)
8/18 初診(こども医療センターにて)

主人と両方の両親と共に病院を訪れる。この時直輝の心臓が相当悪いことは二人だけの胸にしまってあった。
初孫をとても楽しみにしている主人の父は詩?短歌まで作ってしまうほどだった。言える訳がない・・・。
私達だってショックだった。少しずつ、少しずつ納得させながらこの何週間を過ごしてきた。
自分達のこどものことだから耐えられるのだ。何がなんでも守らなくては・・・。
主人も私も逆境に強いタイプだ。
友達は「強いね」といった。強いのか?確かにそうかもしれない。でも、強くならなければならなかった・・
病院の第一印象。
”待った・・・”とにかく待たされた。ここでは毎回の超音波にかける時間が長いので(普通の産院は毎回はしない)
妊婦さんの人数は少なくても待ち時間は相当長いとのこと。ハイリスクの妊婦さんばかりだからだ。

エコーの結果は・・・。もしかしてお部屋4つある?わずかな期待もむなしく心臓が悪いことには間違いはないらしい。
「とにかく、よく検査をしましょう。入院してもらうことになります」「えっ?入院???」
なぜ入院なのかは後でわかった。

主人も部屋に入り主治医の説明を受けているとき、ふと横を見るとメモをとっている人がいる。
これも後でわかったことだが、Drから説明を受けるときなどは必ずメモをとる人が同席するシステムになっている。
先生の丁寧な診察。看護婦さんのきめこまやかな態度。万全な体制・・・。
もうそれだけでこの病院は信頼できる。  この子は助かるかも・・・そう思った。

8/22 入院

準備を整えて病院へ・・・。プライマリーナースのNさんからいろいろと説明を受ける。明るくて元気な人だ。
”入院で不安に思うこと”の欄に私が「初めての入院なのでドキドキしています」と書いたのを主人につっこまれ
「ふつーさ、赤ちゃんが心配です。とか書くのに自分の心配してやんの(笑)」と言われ(確かに自分の心配もしてたけど(^^ゞ)
ハハハハ・・・・。三人で苦笑いしたあと、Nさんは「ここに来るまで、いっぱい泣いてきたんだよね・・・・・」と言ってくれた。
私は泣きそうになるのを必死でこらえた。ちゃんとこの人は見抜いている。
私達が明るく振舞っているけど、ホントは・・・・心の中は違うんだってことを・・・・・・・。

さっそくお部屋に案内され(4人部屋だった)「よろしくお願いしまーす」
3人の好奇の目がいっせいに注がれた!無理もない。みんな退屈で、この空いたベットに誰が来るのか朝からワクワクしてたらしい。
みんないい人ばかりで、すぐ仲良くなれた。そう、みんな悩みをかかえたリスクある妊婦だったから・・・・。

それにしてもうちの部屋は異常なほどうるさかったらしい・・・。主人が「面会に来ると外まで笑い声が響いていたといってたし。
あとでうちの部屋に移ってきた人は「トイレに行く度にこの部屋から笑い声が聞こえてきたよ」と話していたくらいだったから。

この日はNST、レントゲン、心電図、エコーと盛りだくさんだった。
★2006/07/15 (Sat)
すべての仕事を終え、実家へ帰った。今思えば直輝が私が困らないようにと
産休前に病気を知らせにきてくれたような気がしてならない・・・。

赤ちゃんのエコーをとる。やはり形がおかしいらしい。午後、もう一度エコーをみてもらうことになった。
産科の先生と、もう一人(たぶん新生児科の先生か?)
もう少し詳しくみてみないとわからないけれど、心臓が悪いことには変わりがないみたいだ。
後日、主人にも来てもらい、時間をとってもう一度エコーをすることになった。
あの病院とはくらべものにならないくらい、丁寧な対応だった。特別なエコー(カラー画面とか)というわけではなく
ごく普通のものだ。しかも、動き回る赤ちゃんの小さな心臓を探すだけでも大変なのに、ほんとによくみてもらえて、
うれしかった。後日談だが、最初に通院していたM病院は「エコーを一回分、余分にみたんですよ!!」と開き直ったそうだ。

この時の私は、とても冷静な状態だったと思う。もう子どもを守る母の気持ちになっていたし、もともと悲観的な性格ではない
ことと、なぜかこの子は助かるような気がしていていた。うーん。絶対助けてあげる!!という気持ちかなー?
「左心低形成症候群」の重症度を知らないせいもあったかもしれない。しかも、まだ病名はわかっていなかった。

実家にパソコンがあったけれど、心臓病について調べようという発想がなかった。
ただひたすら本屋さんをめぐり、心臓病に関する本を手にとってみるけれど、あるのは「心室中隔欠損」「心房中隔欠損」
「ファロー四徴症」・・・・・・。そんなところだ。お部屋が2つだけなんてどこにも載っていない。
そんななか、たまごクラブからでている「小さく生まれた赤ちゃん、気がかりのある赤ちゃんのママ・パパへ」を見つける。
先天性の心臓病についても少しのっていた。みんな手術を受けて、助かったと書いてある。
手術をすれば・・・・・・。その本を、毎晩読みながら涙した。夜になるといろいろ考えてしまい、眠れなかった。
私が泣くと、必ず「ボクは大丈夫だよー。元気だよー」とでも言っているように元気にお腹を蹴ってきた。

お腹の赤ちゃんに、なにか障害が見つかった場合、いろいろ調べて知りたいと思うタイプの人と、そうじゃない人とに分かれる
と思う。私は知っておきたいとは思ったが、すべてを知らなくてよかったと思っている。
もし、あの時インターネットでいろいろ調べていたら、どんなだっただろう?
少しでも希望を持ちたかった。もちろん、M病院の医師のように「お母さんが心配するといけないと思って・・・・・。」なんてのは
論外だけど・・・。心配するからと言って真実を伝えてくれないのも困る。しかも里帰りだからそれ以上は次の病院任せ。
紹介状には、ひとこと、心奇形の疑いあり・・・としか書かれていなかった。

8/15

主人にも病院に来てもらった。
エコーの結果、ここでは新生児の心臓の手術をすることが出来ない。どこか専門の病院へ行くことをすすめられる。
このあたりならば千葉大学病院。神奈川ならば、K医療センターと言われる。
千葉大じゃ遠いし、主人と離れてこの現実に立ち向かうのは困難だ。神奈川へ戻ろう・・・・。

その時の病名は、「つけるとするのなら単心室、単心房ですね。」とのことだった。
こども医療センター・・・・・・・・。名前は聞いたことがあるけれど、いったいどこにあるの?
困った私は病院の情報を集めようと、もと生徒のお母さんで看護婦のMさんに電話をする。いつも困ったときはついつい
甘えて相談してしまう・・・・。「あそこはね、こども専門だから。うちも何かあるときはみんなあそこの病院へまわすよ。」
場所なども聞いた。うちから車ならば30分くらいで着くみたいだ。
とにかく、紹介状を書いてもらい、予約を入れ神奈川へと戻った。
★2006/07/15 (Sat)
通っていたのは近所の総合病院。ダンナに言わせると「あそこは混んでて3分診療だよ。」
それはわかっていた。でもその他に産婦人科の病院を探す時間もなかったし、
実際病院もそんなにたくさんあるわけではなかった。
それと里帰り出産と決めていたので特にこだわりはもっていなかったのだ。
「何かあったとき大きい病院のほうがいいでしょ!」と私。

確かに待たされた割には短い診療だった。でもこんなものでしょう・・・と思っていた。
決まった主治医はいなく婦人科と産科とで先生も違う
しかも各曜日2,3人のドクターだから里帰りまでに形5人の先生に診てもらうことになった。
大学病院でもないのにね・・・。

H.12 7/28

それは32週(9ヶ月はじめ)のことだった。
赤ちゃんのエコーをみていた先生が「あのね・・赤ちゃんの心臓のお部屋が2つしかみえないのよ。
普通は4つにわかれているところがみえるはずなんだけど・・・・・。」
私は前回のエコーのときも先生が首をかしげながら何度も同じところをぐるぐると見ていたのを思い出した。
この女医さんは丁寧ではっきり説明してくれるから仕事を減らしてからはこの先生のいる曜日にかえたのだった。

もう一人の先生が奥から見に来た。(まだ初期の段階で前置胎盤だと言って何の説明もしてくれなかった人だ。
実際は違ったけどそれで里帰り先の病院を替えたのに。。)なんかやだな・・・。そう思った。
エコーを見て意見を求められたその男の先生は「うーん。まだよく見えないだけじゃないのぉ?」
女の先生の意見とは違っていた。「里帰り先の病院は大きいところなの?私は心臓専門じゃないからよくわからないけど
よく診てもらったほうがいいと思うわ。」

この時点で、K医療センターに転院になるのが普通だが、このときの私は事の重大さをわかっていなかったし
2人の医師も どうせ里帰り・・・ という思いがあったのかも。

病院では涙も見せず冷静だった私も家に帰ってからはそうではなかった。
「心臓のお部屋が2つ・・・・・」この言葉が頭の中でぐるぐるまわって・・・・。
きっと何かの間違いだ・・・・。この間の前置胎盤だって違っていたんだから・・・。
そう思いながらも涙があふれてとまらなかった・・・。

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★ ILLUSTRATION BY nyao